EST. 1998

Cenquei.Comは1998年に開設されました。日本の文学・芸術関係のサイトでは、インターネット黎明期から運営されている最も歴史あるサイトの一つです。センクエイコムは、デジタルで書物を読むという人類の経験の始まりとともに、あるいは始まる前から、デジタル書籍を制作し、出版しています。

DEMO

千慶烏子の作品をセンクエイコムで読んでみましょう。センクエイコムでは電子書籍とは少し違ったかたちで千慶烏子の作品をご覧いただくことができます。作品画像または「READ MORE」を押してデモをご覧ください。別ウィンドウで表示されます。

ポエデコ

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-05-3, 978-4-908810-27-5

自転車を押しながら坂道を登ってゆく彼女を見つけてマリと叫んだ。僕たちの夏の始まりだった。僕たちはその夏一緒に過ごそうと約束していた。誰にも内緒で、自転車を走らせ、一晩でいいから湖のほとりのコテージで一緒に過ごそうと二人だけの約束をしていたのだった。僕は彼女を見つけて名前を叫んだ。半袖のブラウスからのぞく肌という肌のすべてが美しく、額に結んだ粒のような汗までが美しかった。僕たちは夏の盛りの泡立つような虫の声に煽られながら、乾いた唇に唇を重ね、早熟な愛の感情におたがいの肌を寄り添わせるのだった。峠を越えると右手に湖を望んで下り坂を走った…

アデル

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-28-2, 978-4-908810-02-2

海辺にひびく鳥の声を美しいと思った。頬を撫でて行き過ぎる潮のかおりをいとおしいとわたしは思った。もう二度とパリに戻ることはないかもしれないというわたしたち家族の深い絶望の色で、瞳に映るものすべては暗く沈んでおり、また、夜ともなればいつも父を苦しめる亡姉レオポルディーヌの痛ましい記憶にわたしたち家族の思い出は逃れようもなく囚われており、わたしたちは、パリを遠く離れた小さな島の小さな街で息をひそめるように深い喪のただなかにいた。しかし、海辺にひびく海鳥の声を美しいとわたしは思った。頬を撫でて行きすぎる潮のかおりをいとおしいとわたしは思った。この肌にふれる海のひびきがわたしの鼓動を高鳴らせると…

クレール

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-06-0, 978-4-908810-08-4

思えば、あの日はじめてサーカスの馬屋で見た中国男がわたしに微笑みかけることをせず、罌粟の咲き乱れる裏庭の片すみで、弦が一本しかない中国のセロを弾いてわたしたち家族を感嘆させることもなく、柔らかいなめし革のような肌を輝かせてわたしの手にうやうやしく接吻することもなく、そのまま馬に乗ってこの小さな村から出て行ってくれたのなら、どれほどよかったことだろうか。葡萄摘みの女たちがまだ早い新芽をいらって夏の収穫に思いをはせるころ、時おり吹く風に初夏の緑が柔らかな若葉をめぐらせるころ、はるか西の果てに海洋を望むアキテーヌの領地に幌を寄せ、どこか物悲しいロマの男たちの奏でる音楽に合わせて…

デルタ

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-26-8, 978-4-908810-04-6

この海に終わりがあることをわたしは知っている。でも言わない。あの空に限りがあることをわたしは知っている。でも言わない。夕映えにかすむ希薄な空を染めて遠く沖合いに沈もうとするわたしたちヘスペリアの太陽は、本当は太陽ではなく、太陽の廃墟だということをわたしは知っている。でも言わない。言わないのは禁じられているからではなくて、誰もわたしに聞こうとしないから。訊いてくれたら話してあげるかもしれないけれども、誰もわたしに聞こうとしないから。永い永い航海の果て、弔いの歌もなく死んでいった男たちのことをわたしは言わない。もはや忘れられて久しい故郷の歌と残された子供たちの旅路の行方をわたしは言わない…

やや あって ひばりのうた

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-03-9, 978-4-908810-10-7

男は鳥の滑空についてわたしに語りはじめるだろう。防波堤と時のゆるやかな腐食について男はわたしに語り聞かせるだろう。男の胸にゆだねられたきささげの白さを、男の胸にかさねられたわたしの胸の透けるような白さを、それとも男は愛したのだろうか。それとも騎乗する肉体のたけだけしさを男は愛したのだったろうか。ときおりその口唇にあたえられ、あたえられてはのがれてゆく乳房のはずみ、ときおりその口唇をあかるませるわたしの胸のあわい暈、その乳暈にくれそめた午後の日のおだやかな翳りを男はいっそう愛したのだろうか。肩からおちる髪と海のにおいをそれとも男は愛したのだったろうか…

TADAÇA

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-18-3, 978-4-908810-32-9

あなたはその女の胸を吸う。その女の胸のあわいなでしこの蕊をあなたは吸う。その女の腋のすこしばかり湿った暗さをあなたは吸う。愛しい女の肌もあらわなその場所に触れつつ暮れる夏の日のあまいかげりをあなたは吸う。ときどき吹きみだれるその女の髪があなたのほほをかすめることもなく、ときどき耳朶にぬれるその女の髪があなたの指をこばむこともなく、ひだりにむけ、そびらをかえし、あなたのそこに、その口もとに、またその耳もとに、その女の息を散らすあなたがたの夏の臥床にあなたは吸う。みずみずしくひもとかれたその女の肌のしずかなうるおいがあなたのうなじにめぐらされ、もうとうにはだかであることにも飽いた……

冒険者たち

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-17-6, 978-4-908810-23-7

事の起こりはこうだ。ある晴れた日の朝、君はどうしようもない不安と焦燥に駆られて、あてどもなく医師の門を叩く。いくつもの関門を潜り抜け、受付の前に受付があり、受付の中にも受付があり、また受付の後にも受付が続くような不可解な構造をした待合室でさんざん待たされたあげく、ようやく診察室に招き入れられると、君はこう告げられるのだ、癌ですってね。ここで君の人生の設計図は大きく狂う。望むと望まざるとにかかわらず、僕たちは突如として冒険に駆り出されるのだ…

VERNISSAGE

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-00-8, 978-4-908810-24-4

あなたは妹の黒い靴下をはき、わたしはお兄さまの革のベルトをしめて、おたがいの胸乳をおのおのの口に吸い合うのです。あなたは妹の黒いリボンをつけ、わたしはお兄さまの黒い靴紐をしめて、おのおのの口に青い鱒をつりあげるのです。水しぶきをあげて勃起している青い魚をおたがいの口にさがしあてては、それをおのおのの口に吸い合うのです。そうしてあなたはわたしの野良猫のようにまるいおなかに、そうしてわたしはお兄さまの牝猫のようにきれいなおしりに、杜撰な虚言を突き立てあってはおたがいの青い鱒をおのおのの口に吸い合うのです…

ねじふりこ

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-30-5, 978-4-908810-15-2

挿画の森にたたまれた首の長い佝僂の花嫁。鳥の半身をもってときどき嬌々とさえずる彼女のくるぶしは、いったい何とひきかえに失われてしまったのだろう。まるい下腹、ゆたかな乳房、そのやや暈のひろいふぞろいな臆見にしくまれた青空のふりこは、いったいいつまで退屈な時を刻み、忘れられた俗謡を彼女にうたわせるのだろう。南を指して錆びついた雄鳥のジャックが、使い古された卑俗な俚言をたくみに弄して彼女に言い寄った昨日の、夏の晩景の暮れなずむ蔵書の叢林を、少年はいったい誰に内緒で見たのだろうか、印度更紗の色褪せた捺染のかたわらで…

NOTE

千慶烏子の書籍にはすべて詳細な解説が用意されています。購読案内として、また作品をめぐる論考や批評としてご覧ください。作品の解説を読むにはメニュー項目から「NOTE」を押してください。下の作品画像または「READ MORE」を押すと解説の続きを読むことができます。解説は各ストアでもご覧いただけます。

千慶烏子『アデル』

アデル

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-28-2, 978-4-908810-02-2

…作品はヴィクトル・ユゴーの娘アデルの悲恋に取材している。アデル・ユゴーについては、教養に富んだ読者の皆さんならば、フランソワ・トリュフォーの映画『アデルの恋の物語』でよくご存じかもしれない。本書の執筆にあたって千慶烏子がトリュフォーの映画を参考にしなかったと言えば嘘になるだろう。しかし、本作が映画から着想を得たとか、映画の翻案であるという指摘もまた現実とは著しく異なっていると言わねばならない。この購読案内では、トリュフォーの『アデル・H』と千慶の『アデル』の基本構造を比較しながら、簡単に本書の独自性に関して読者の皆さんに提案してみようと思う。まず最初に異なるのは、本書が言葉だけで成立していることである。そこには映像表現に見られる息を飲むような美しい映像もなく、観客を魅了して止まない美貌の女優も存在しない。しかし、読者はありありとそこに女主人公アデルの息づかいや戸惑い、心の揺れ動きを「見る」だろう。本書では、言葉が読者の心を掻き立て、そこにない映像を、そこにいない美貌の女を垣間見させるのである。それは、当たり前のことではあるが、文学空間の特徴である。そして次に異なるのは、本書は一人称の話法で構成されていることである。映画の空間はカメラの持つ三人称の視点で構成され、女主人公を客観的に映し出すが、本書の文学空間では、女主人公アデルはみずからを語るのである…

千慶烏子『デルタ』

デルタ

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-26-8, 978-4-908810-04-6

…物語の主人公であり、かつ物語の語り手であるデルタという謎めいた女の正体が明らかにされるやいなや、彼女の語る物語は反転し、その空間は一転して起伏に富んだものになる。特に中盤以降は、映画のカットバックを思わせる断章の構成が非常に有効に活用されており、序盤で丹念な布石を打って展開されたヘスペリアという舞台装置そのものが顛倒し、反転画像のように描かれるさまは、着想の天才と言われる千慶烏子の想像力が如何なく発揮されている。ここはもう難しいことを言わず、ただ唖然としてそのイマジネーションを堪能するのが良い。そして、本書で最も重要な終盤に差し掛かる。一人称で「わたし」を語るデルタの正体、彼女の語るヘスペリアの正体が明らかにされた後で、デルタは「語り手に知らされていない本源的な謎」にぶつかることになる。この謎の中の謎、謎の中にあって謎そのものを否定する謎に本書のすべてが集約されている。この構成が秀逸であり、そして卓抜である。全てを知っているはずの語り手が「わたし」の中に「わたしの知らないわたし」を発見し、彼女を否定する彼女自身に遭遇するのである。同時に、彼女の謎の中に隠されていた本当の謎が「語り手であるわたし」を蝕んでゆくことになる。この過程を実に丹念に、そして情感豊かに千慶烏子は描いており、デルタの語る一人称の話法は、愛の苦悩と実らない運命をめぐる魂の告白となって、読む人の心に迫るにちがいない…

千慶烏子『ポエデコ』

ポエデコ

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-05-3, 978-4-908810-27-5

…ある物語の祖型を現代化(コンテンポライズ)する方法に関しては容易に想像が付くにちがいない。しかし、これを脱現代化(ディコンテンポライズ)する方法に関してはどうだろうか。千慶烏子が本書で行なっているのは、このあたかも隻手の音声を聞くかのような、ディコンテンポライズする方法論の試みである。物語の時空に時代錯誤なガジェットが登場したり、語り手の性別や人称に逸脱が発生したり、話法の空間がねじれて、物語の外から語り手が読者に直接語りかけたり、本書では、さまざまな逸脱的方法論が駆使されている。二十世紀の文学・芸術思潮の中で行われてきた「異化」の新しいバージョンと断じるのもいいだろう。しかし、これを現代性に対する異化と置き直して「脱現代性(デコンタンポラン)」としたところが決定的に新しい。本書の執筆された2010年代の時代背景を考えるならば、この逸脱的な方法論は遊戯性を帯びたものではなく、時代の必然性に即して真剣に検討されたものであると考えられていい。国土の崩壊を目の当たりにし、長きに渡る経済と文化の停滞に立ち上がる力を失い、猥褻な復古的政治思想が台頭する「われわれの現代性」を前にして、千慶烏子はこれを脱現代化(ディコンテンポライズ)するのである。脱現代化と言っても、現代という時代からワープするわけではない。同時代性のテンポをずらし、われわれの現代性に切れ目を入れ…

STORE

千慶烏子の本はAmazon Kindleストアをはじめ、Apple Booksストア、Google Playブックストアなど5つのブックストアでご購読いただけます。下の画像を押して本の売場にお越しください。ポイントやクーポンなどもご利用いただけます。

Pages
Lines
Words