POE-DECO

ポエデコ 2017

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-05-3, 978-4-908810-27-5

自転車を押しながら坂道を登ってゆく彼女を見つけてマリと叫んだ。僕たちの夏の始まりだった。僕たちはその夏一緒に過ごそうと約束していた。誰にも内緒で、自転車を走らせ、一晩でいいから湖のほとりのコテージで一緒に過ごそうと二人だけの約束をしていたのだった。僕は彼女を見つけて名前を叫んだ。半袖のブラウスからのぞく肌という肌のすべてが美しく、額に結んだ粒のような汗までが美しかった。僕たちは夏の盛りの泡立つような虫の声に煽られながら…(本文より)

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脱現代性の詩的方法論――。本書は『ポエジー・デコンタンポレヌ』の表題で2015年 P.P. Content Corp. より出版された。デコンタンポランという聞き慣れないフランス語は、現代性の危機に対抗するべくして千慶烏子の作り出した新しい文学上の方法論である。デコンタンポランは英語に置き直すならばディコンテンポラリー、脱構築の脱が加えられた現代性、すなわち脱現代性の方法論である。

一見すると、少年小説や空想科学読本、大人向けの残酷な童話を思わせるこれらの奇妙な物語群は、詳細に見るならば、時制・人称・性など話法の構造に意図的な混乱が持ち込まれ、その物語内容はフォトモンタージュで鋏を入れられた写真のように貼り合わされ、ニスを塗られ、異化され、デコンストリュクト(脱構築)されていることに気づかれるにちがいない。物語に鋏が入れられたぎざぎざの切れ線や合成された物語の痕跡などが意図的に残されていることにも注意を促したい。

これらの物語は物語を楽しむための物語ではなく、物語に逸脱を持ち込み、読者に意図的な混乱をもたらし、われわれの「いま・ここ」に攪乱を持ち込もうとする詩的方法論に貫通された物語である。

ある物語の祖型を現代化(コンテンポライズ)する方法に関しては、百戦錬磨の読者の皆さんならば容易に想像が付くにちがいない。しかし、これを脱現代化(ディコンテンポライズ)する方法に関してはどうだろうか。千慶烏子が本書で行なっているのは、このあたかも隻手の音声を聞くかのような、ディコンテンポライズする方法論の試みである。物語の時空に時代錯誤なガジェットが登場したり、語り手の性別や人称に逸脱が発生したり、話法の空間がねじれて、物語の外から語り手が読者に直接語りかけたり、本書では、さまざまな逸脱的方法論が駆使されている。

二十世紀の文学・芸術思潮の中で行われてきた「異化」の新しいバージョンと断じるのもいいだろう。しかし、これを現代性に対する異化と置き直して「脱現代性(デコンタンポラン)」としたところが決定的に新しい。本書の執筆された2010年代の時代背景を考えるならば、この逸脱的な方法論は遊戯性を帯びたものではなく、時代の必然性に即して真剣に検討されたものであると考えられていい。国土の崩壊を目の当たりにし、長きに渡る経済と文化の停滞に立ち上がる力を失い、猥褻な復古的政治思想が台頭する「われわれの現代性」を前にして、千慶烏子はこれを脱現代化(ディコンテンポライズ)するのである。脱現代化と言っても、現代という時代からワープするわけではない。同時代性のテンポをずらし、われわれの現代性に切れ目を入れ、われわれが当たり前だと思って疑わない「いま・ここ」的なあり方に問いを投げかけるのである。言葉を変えて言うならば、それは、われわれの現代性に対する批評的観点の持ち方、われわれの「いま・ここ」に埋没してしまわないあり方の模索が提案されているのだと考えられていいだろう。

このとき、ノスタルジックな異次元の空間や模造画の質感で合成された空間、過剰なクリシェを多用した時代錯誤な物語空間は、これを楽しむためだけでなく、われわれの現代性がいかなるものであるにせよ、決してわれわれはそれに屈することをしないという強い決意の表明であることに気づかされるにちがいない。切って貼り付けた物語の切れ目こそがわれわれの想像力の抵抗の証しであり、合成された物語の不自然な合わせ目こそがわれわれの想像力の自由の証しなのである。この想像力は楽しむための想像力ではなく、われわれの「いま・ここ」に対抗するための想像力である。ぜひ読者の皆さんは敢然と時代を疾走し、本書を跳躍板にして、われわれの現代性を脱現代化する企てに挑戦していただきたい。(P.P.Content Corp. 編集部)

千慶烏子『ポエデコ』電子書籍版解説  2017年07月

ポエジー・デコンタンポレヌ 2015

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-01-5

作品は2012年から2014年にかけて、センクエイコム・プレスリリース誌上において発表された。『文学装置』という表題の連載である。東北大震災の翌年のことであり、わが国の九十年代からゼロ年代にかけて醸成されてきた「かたちにならない不安と失望」が、痛みをともなう「現実」となって目の前に立ち現れた時代である。国土の崩壊を目の当たりにし、展望の拓けない見通しのなかで、われわれは身動きがとれなくなってしまう。返せない借金がうずたかく積み重なり、帰れない故郷と変えられない未来を目の当たりにして、われわれは現代性の危機に直面する。私はこれを「挑戦」と受け止めたのではないかと思う。2011年の秋ごろから、満潮の海辺に潮がみちてゆくように、厖大な数の作品が多種多様な意味=方向性サンスをそなえて溢れ出してきた。この「時代が投げかける挑戦」に対する詩人の回答が連載というかたちで行われてきたのが、本書の原形である。

本書は連載『文学装置』の第一・第二シーズンの作品をまとめたものである。どこへ向かおうとしているのか、どこへ行こうとしているのかわからないまま、作品が立ち上がり、これに対して批評を加えるというかたちで連載は進行した。この思考と表現の連鎖が「デコンタンポラン(ディコンテンポラリー)」という文学上の、そして思想的な概念としてひとつの帰結を見るにいたるのが前掲の連載『文学装置』第一・第二シーズンである。「デコンタンポラン(ディコンテンポラリー)」とは何かに関しては、本書で直接ご確認いただきたい。ひとまず簡単にまとめるならば、それは現代性のテンポをずらす、あるいは現代性に思考の介入する空隙を設けることによって、現代性に創造的破壊の契機を持ち込むという内容の概念であり、千慶烏子の造語である。デコンタンポランはコンテンポラリーという時代精神に、コンテンポラリーな現象に、そして現代性が自らのうちに内包する諸問題に取り組み、これと対抗しうる強力な概念装置になるのではないかと思う。

作品をまとめるにあたって、作品集としてポエジー・デコンタンポレヌ(脱現代詩)を愉しんでいただけるよう、作品の順序を整理した。本書に収録された作品はほぼ連載発表時のままである。大幅な加筆や訂正がある場合は末尾にその旨を記した。作品にはすべて執筆日時が記されているが、これは「現代性が突き付ける挑戦」を受けて立つ表現と思考の記録という意味を持つものだと考えていただいていい。作品はすべて日付を記すところから始まっている。日付を記し、表現の衝動に身をまかせ、想像力と思考を駆使して、わが国の困難に、われわれの「いま・ここ」性の危機に対抗してゆこうというのが作者の意図するところである。ユニークな小品からなる小さな文学空間を構築することに作者の意図はない。その結果、難解極まりない長大な作品が書き記されたのではなく、愛すべき小品群が生み出されてきたことは、ほとんど奇跡的である。これら愛すべき小品群は、その愛らしい表情とはうらはらに、わが国の困難に、わが国の現代性において長らく醸成されてきた「停滞と後退と堕落」という危機的状況に真っ向から対抗しているのである。挑戦的であり、対抗的であり、攪乱的であるにもかかわらず、愛らしい。これが本書の特徴であり、千慶烏子の文学的達成である。

作品は純粋に文学表現として愉しんでいただける。足取りは軽やかだが着実であり、風まかせに漂っているように見えてしっかりと方向性を見定め、安易に流されてゆかない。何かに喩えるべきだが、喩えようがない。作者にしてみればこれらは「奇跡的な(自分の力だけではなく、何かとても強い力にうながされて出来たような)」作品群であり、さらに恐るべきことに、まだまだ汲めども尽きせぬ力をもって作品は滾々と溢れだしている。風に乗ったグライダーのようなものだと喩えるといいかもしれない。向かい風はわれわれをより高みへと向かわせるのであり、時折り落下しているように見えるのだとしたら、それはわれわれがより遠方へと向かおうとしているからだ。本書はまさにその風に乗った瞬間のふわりと浮き上がるような浮揚感が醍醐味である。読者のみなさんを束の間でも「いま・ここ」性の苦悩や悲嘆から解放し、ふわりと浮き上がらせることができれば作者としてこれほど嬉しいことはない。(2015/02/18 千慶烏子)

千慶烏子『ポエジー・デコンタンポレヌ』初版解説  2015年08月 (ISBNコードは2016年に振り当てられた)

BOOKS

千慶烏子『ポエデコ』

ポエデコ

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-05-3, 978-4-908810-27-5

自転車を押しながら坂道を登ってゆく彼女を見つけてマリと叫んだ。僕たちの夏の始まりだった。僕たちはその夏一緒に過ごそうと約束していた。誰にも内緒で、自転車を走らせ、一晩でいいから湖のほとりのコテージで一緒に過ごそうと二人だけの約束をしていたのだった。僕は彼女を見つけて名前を叫んだ。半袖のブラウスからのぞく肌という肌のすべてが美しく、額に結んだ粒のような汗までが美しかった。僕たちは夏の盛りの泡立つような虫の声に煽られながら、乾いた唇に唇を重ね、早熟な愛の感情におたがいの肌を寄り添わせるのだった。峠を越えると右手に湖を望んで下り坂を走った。コテージでは最初はどこかためらいがちだったけど、抱き合う以外に愛を伝える方法を…(本文より)

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千慶烏子『アデル』

アデル

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-28-2, 978-4-908810-02-2

海辺にひびく鳥の声を美しいと思った。頬を撫でて行き過ぎる潮のかおりをいとおしいとわたしは思った。もう二度とパリに戻ることはないかもしれないというわたしたち家族の深い絶望の色で、瞳に映るものすべては暗く沈んでおり、また、夜ともなればいつも父を苦しめる亡姉レオポルディーヌの痛ましい記憶にわたしたち家族の思い出は逃れようもなく囚われており、わたしたちは、パリを遠く離れた小さな島の小さな街で息をひそめるように深い喪のただなかにいた。しかし、海辺にひびく海鳥の声を美しいとわたしは思った。頬を撫でて行きすぎる潮のかおりをいとおしいとわたしは思った。この肌にふれる海のひびきが…(本文より)

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千慶烏子『ねじふりこ』

ねじふりこ

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-30-5, 978-4-908810-15-2

挿画の森にたたまれた首の長い佝僂の花嫁。鳥の半身をもってときどき嬌々とさえずる彼女のくるぶしは、いったい何とひきかえに失われてしまったのだろう。まるい下腹、ゆたかな乳房、そのやや暈のひろいふぞろいな臆見にしくまれた青空のふりこは、いったいいつまで退屈な時を刻み、忘れられた俗謡を彼女にうたわせるのだろう。「たくらまざる世界の乳房」、「たくらまざる天国の果実」、「蜂と蜜蜂たちにささげられる蜜月の賜物」。南を指して錆びついた雄鳥のジャックが、使い古された卑俗な俚言をたくみに弄して彼女に言い寄った昨日の、夏の晩景の暮れなずむ蔵書の叢林を、少年はいったい誰に内緒で見たのだろうか、印度更紗の色褪せた捺染のかたわらで…(本文より)

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