ADELE

アデル #1

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-28-2, 978-4-908810-02-2

海辺にひびく鳥の声を美しいと思った。頬を撫でて行き過ぎる潮のかおりをいとおしいとわたしは思った。もう二度とパリに戻ることはないかもしれないというわたしたち家族の深い絶望の色で、瞳に映るものすべては暗く沈んでおり、また、夜ともなればいつも父を苦しめる亡姉レオポルディーヌの痛ましい記憶にわたしたち家族の思い出は逃れようもなく囚われており、わたしたちは、パリを遠く離れた小さな島の小さな街で息をひそめるように深い喪のただなかにいた。しかし、海辺にひびく海鳥の声を美しいとわたしは思った。頬を撫でて行きすぎる潮のかおりをいとおしいとわたしは思った。この肌にふれる海のひびきが鼓動を高鳴らせるとわたしは思った。そして、ここ、ガンジーの浜辺でエニシダを挿した食卓の花瓶や静かに揺れるお父さまの椅子、その背もたれの縁に手を差し伸べて優しく微笑むお母さまの美しい横顔、もはや年老いて耳の遠くなったばあやがわたしを気づかって差し出してくれる洋梨のデセール、そのように取り止めもなくわたしの瞳に映るもののすべてが、海辺にせまる夕暮れの深い静寂のなかで、もはや決して繰り返されることはないであろう一刻一刻の美しい輝きをおびてわたしの眼の前に立ち現われたその瞬間、わたしは恋に落ちていることを確信しました。

アデル #2

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-28-2, 978-4-908810-02-2

わたしはこの地に来たことを後悔しているのだろうか。誰にも告げず、父にも告げず、このアリファクスの地に来たことをわたしは後悔しているのだろうか。この抑えきれぬ心の不安な動揺はわたしの恋に対する深い懐疑の現れなのだろうか。それとも恋というものがもたらす自然な心の揺れ動きなのだろうか。もしかするとわたしは知っているのかもしれない。この恋の行方を本当はわたしは知っているのかもしれない。恋に落ちて感受性をますわたしの心が、わたしの恋の不穏な天候を予告して、あたかも危険を告げ知らせる百葉箱のなかの気圧計のように、過敏に揺れ動いているのかもしれない。思い起こせば、わたしの恋は喪のかたわらにあった。もはや決して明けることはないであろう漆黒の喪のかたわらに、わたしの恋はあった。わたしはわたしの暗い部屋のなかで、光を求めるように恋を求めた。光を求めて添え木に蔓をからませる葡萄のように、わたしはこの喪のなかで恋を求めた。あおあおと枝葉をひろげてゆく樹木がするようにわたしは光を求めた。若くして亡くなったお姉さまの拭いがたい喪の記憶のなかでわたしはアルベールに恋をした。ルイ・ボナパルトがお父さまを辺境の地に追放して以来、祖国に取り憑いて離れない深い沈潜と停滞の喪のなかで、わたしはアルベールに恋をした。

アデル #3

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-28-2, 978-4-908810-02-2

お父さま。どうぞわたしの恋をブリュメール十八日の夏休みなどとはおっしゃらないでください。お父さま、どうぞあの方をあのいかがわしいボナパルトになぞらえることなどなさらないでください。あの方は、アルベールさまは、いつもどこか不吉な誘惑者の風貌を湛えてはいらっしゃいますが、それは、あまりにも感じやすい彼の素顔を隠すために、あの方が社会的な信用の代わりに作り出した、あの方の仮面にすぎないのですから。お父さま、アデルには理解できるのです。あの方の本質は感じやすさです。恋を知る者が恋を知る者にのみ認められる感じやすさなのです。お父さま、恋に落ちた娘の心は感じやすくなります。心の肌がとても敏感になるのです。まるで感受性の強い物質が、光を受けてその表面に刻一刻の光の痕跡をとどめるように、恋に落ちた娘の心は、この世の光という光と交感しあって、感じやすい彼女の心に美しいイマージュを印しづけるのです。まるでお父さま、恋をする者は、あのダゲールが創り出した奇妙な箱のなかに匿われている多感な物質のように脆く、そして敏感なのです。彼らは、恋人たちの暗い部屋のなかで、あまりにも感じやすい彼らの肌をひそかに重ねながら、彼らが見ている美しいイマージュをおたがいの感じやすさのもとで静かに交換し合うのです。

*続きは電子書籍版『アデル』でお楽しみください。

BOOKS

千慶烏子『アデル』

アデル

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-28-2, 978-4-908810-02-2

ヴィクトル・ユゴーの娘アデルの悲恋に取材した千慶烏子の長編詩篇『アデル』。その才能をして類稀と評される詩人の書き記す言葉は、あたかも暗室のなかの多感な物質のように、一瞬一瞬の光に触れて鮮明なイマージュを書物の頁に印しづけてゆく。そして恋の苦悩に取り憑かれた女を、その悲嘆に暮れるさまを、失意のなかで愛の真実について語ろうとするさまを、近接性の話法のもとで精緻に写しとどめる。傷ましいほどの明晰な感受性、あるいは極めて写真的なヴァルネラビリティ。

──そしてここ、ガンジーの浜辺でエニシダを挿した食卓の花瓶や静かに揺れるお父さまの椅子、その背もたれの縁に手を差し伸べて優しく微笑むお母さまの美しい横顔、もはや年老いて耳の遠くなったばあやがわたしを気づかって差し出してくれる洋梨のデセール、そのように取り止めもなく瞳に映るもののすべてが、海辺にせまる夕暮れの深い静寂のなかで、もはや決して繰り返されることはないであろう一刻一刻の美しい輝きをおびてわたしの眼の前に立ち現われたその瞬間、わたしは恋に落ちていることを確信しました。(本文より)

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千慶烏子『デルタ』

デルタ

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-26-8, 978-4-908810-04-6

ヴィヨンよヴィヨン。おまえたちが太陽と呼ぶ、あの太陽の廃墟の太陽の、ファーレンハイト百分の一度の乱れがわたしの心臓を慄わせる。おまえたちが海洋と呼ぶ、あの海洋の廃墟の海洋の、高まって高まって高まって砕ける波の慄えがわたしの心臓をふるわせる──。

デルタとは誰か。それは謎めいたアナグラムなのか。それとも名前に先立つ欲望の集合的な属名なのか。きわめて今日的なカタストロフのもとでボードレールのファンタスムが、あるいはコルプス・ミスティクスのシミュラークルが、全く新しい光を受けて上演される。都市と売淫、断片と化した身体。あるいは石と化した夢。娼婦への愛は、果たしてヴァルター・ベンヤミンの言うとおり、商品への感情移入のハイライトなのか。ためらう者の祖国とは何か。 人でなしの恋とは何か。コギトの誘惑あるいは内省の悪徳とは。この美貌の女が語る「接吻で伝染する死の病」とはいったい何なのか──。予断を許さない大胆な構成のもとで繊細かつ多感に繰り広げられる千慶烏子の傑作長編詩篇『デルタの恋』。

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千慶烏子『クレール』

クレール

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-06-0, 978-4-908810-08-4

思えば、あの日はじめてサーカスの馬屋で見た中国男がわたしに微笑みかけることをせず、罌粟の咲き乱れる裏庭の片すみで、弦が一本しかない中国のセロを弾いてわたしたち家族を感嘆させることもなく、柔らかいなめし革のような肌を輝かせてわたしの手にうやうやしく接吻することもなく、そのまま馬に乗ってこの小さな村から出て行ってくれたのなら、どれほどよかったことだろうか──。

Claireとは明晰にして澄明、清澄にして純粋。光輝くような美貌の女クレールが繰り広げる愛の妄執はかくも清冽であり、またかくも甘美である。千慶烏子のプネウマティクとバロッキズモは、われわれの記憶の古層にたたまれた愛の神話を、かくも現代的な表象空間のもとでかくもモダンに上演する。アレゴリーとは他者性(アロス)の言説。千慶烏子が舞台の上に女たちを呼び寄せて語らせる甘美な愛の言説とは、実にこのアロスの言説、他者性の言説に他ならない。神の女性的な部分。狂気のもうひとつの側面。全体的で命令的な連続する快感。実に愛の妄執とは、ジャック・ラカンの言うとおり「女として現われる」のである。──急迫するファントーム。明晰な愛のオブセッション。目眩めくテクストの快楽、千慶烏子の長編詩篇『クレール』。

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