DATA

P.P.Content Corp.は、書誌情報や巻末解説、編集者後記、講読案内を含め、これまで出版された千慶烏子の書籍データのすべてをセンクエイコムに保存しています。センクエイコムでは、電子書籍に先行して行われた先駆的なデジタル出版の記録をご覧いただくことができます。

NOTE

千慶烏子の書籍にはすべて詳細な解説が用意されています。購読案内として、また作品をめぐる論考や批評としてご覧ください。センクエイコムでは初版以降のすべての書誌情報、解説が保存・公開されています。下の作品画像または「READ MORE」を押してご覧ください。

TADAÇA

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-18-3, 978-4-908810-32-9

…特に第三章「La Chambre Numerique」における写真論は傑出している。千慶烏子は、カメラのデジタル化によって過去のものとなる銀塩写真を取り上げ、この失われゆくテクノロジーから「物質的な感受性」をはじめとする非常に有効な概念を次々と拾い起こしてくる。そして、暗い部屋に横たわる「感じやすい物質」(これは写真装置におけるフィルムの暗喩であるが、それ以上に、人間というものを捉える新しい切り口である)がデジタルという空間に横断されてゆくさまを通して、デジタルというテクノロジーの内面化を行ってゆくのである。その思考を構成する概念の一つ一つが削り出しであり、ハンドメイドであり…

ねじふりこ

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-30-5, 978-4-908810-15-2

…千慶烏子のエクリチュールは、彼自身に由来するものと必ずしも彼自身に由来するとは言い難いものとを二つの中心にして、楕円の軌跡を描く。それは時には太陽の周りを回る惑星のように果てしなく長い楕円の軌道を描き、また時には所在なげな振り子が振られるように気まぐれな軌道を描く。千慶烏子は、その書く行為において「わたし」と「わたしならざるもの」とを二つの中心に持つ楕円の軌跡を描きながら、「わが国の自由詩の作品史にかつて現れたことがない」と評される、独自の文学空間を切り開いてゆくことになる。その端緒に位置するのが、1996年に出版された、処女作品の本書『ねじふりこ』である…

クレール

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-06-0, 978-4-908810-08-4

…千慶烏子の「わたし」は作者のもとに固定されておらず、作者と話者の間を、また作者自身の固有性と何らかの代弁者という性格の間を、あるいは剰余と欠落の間を、または彼岸と此岸の間を、あるいは実体と虚像の間を流動するのである。この流動する「わたし」に根差した方法論に千慶烏子のオリジナリティと決定的な新しさがある。(中略)このお互いの欲望を代弁し合う「わたし」の流動性、あるいはおのおのの名前を交換し合う「わたし」の流動性が、千慶烏子の一連の「代理=表象=上演」をめぐる方法論の根底にあり、本書を含むシリーズ作品でよりアグレッシブに展開されていると考えてもいいだろう。本書『クレール』においても…

アデル

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-28-2, 978-4-908810-02-2

…次に異なるのは、本書は一人称の話法で構成されていることである。映画の空間はカメラの持つ三人称の視点で構成され、女主人公を客観的に映し出すが、本書の文学空間では、女主人公アデルはみずからを語るのである。みずから語ることによって作品世界が構築され、展開される。彼女の目を通して世界は描かれ、彼女の言葉を通して彼女の内面が描かれる。それにもかかわらず、読者はそこに女主人公アデルの存在をありありと目撃するにちがいない。あたかも写真装置のファインダーを通して見るかのように、あるいは映写装置の投げかける光と影の映像に見いだすかのように、あるいは舞台装置の上にその姿を観るかのように。言うなれば、読者は「文学装置」を通して彼女の実在と真実に遭遇するのである…

ポエデコ

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-05-3, 978-4-908810-27-5

…本書で行われているのは脱現代化(ディコンテンポライズ)する方法論の試みである。物語の時空に時代錯誤なガジェットが登場したり、語り手の性別や人称に逸脱が発生したり、話法の空間がねじれて、物語の外から語り手が読者に直接語りかけたり、本書では、さまざまな逸脱的方法論が駆使されている。二十世紀の文学・芸術思潮の中で行われてきた「異化」の新しいバージョンと断じるのもいいだろう。しかし、これを現代性に対する異化と置き直して「脱現代性(デコンタンポラン)」としたところが決定的に新しい。本書の執筆された2010年代の時代背景を考えるならば、この逸脱的な方法論は遊戯性を帯びたものではなく、時代の必然性に即して真剣に検討されたものであると…

デルタ

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-26-8, 978-4-908810-04-6

…一人称で「わたし」を語るデルタの正体、彼女の語るヘスペリアの正体が明らかにされた後で、デルタは「語り手に知らされていない本源的な謎」にぶつかることになる。この謎の中の謎、謎の中にあって謎そのものを否定する謎に本書のすべてが集約されている。この構成が秀逸であり、そして卓抜である。全てを知っているはずの語り手が「わたし」の中に「わたしの知らないわたし」を発見し、彼女を否定する彼女自身に遭遇するのである。同時に、彼女の謎の中に隠されていた本当の謎が「語り手であるわたし」を蝕んでゆくことになる。この過程を実に丹念に、そして情感豊かに千慶烏子は描いており、デルタの語る一人称の話法は、愛の苦悩と実らない運命をめぐる魂の告白となって…

やや あって ひばりのうた

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-10-7, 978-4-908810-22-0

…千慶烏子の一冊の書物は他の詩人の著す書物のおそらくは数冊分の密度がある。千慶のテクストの密度は、その体積との比重からするならば、さしずめ「水銀」のように重い。そのエクリチュールは空気のように軽やかであり、また流体のようにリズミックな官能性に富むにもかかわらず、その密度は水銀のように重い。なぜなら、そのテクストのなかには、いまだ顕現したことのない「文学の未来」が種子のようにぎっしりと詰まっているからだ。もし千慶のこの書物がP.P.ContentCorp.社のリモンタージュにもとづく六冊の書物の量的総和に等しいならば、あるいは本書末尾に掲載されている六つのセリ(系列)の量的総和に等しいのならば、読者はこの書をひもとく…

VERNISSAGE

千慶烏子著 ISBN: 978-4-908810-00-8, 978-4-908810-23-7

…表題『Ça: Mon Corps』──。才能とは弾性である。本書で展開される不思議な撞着語法によるセリ「Schreberesque(その語から推察されるとおり、このセリはダニエル・パウル・シュレーバーの回想録に詩人がインスパイアされたものである)」は、散文詩における日本語の極北の表現のひとつであると言えるかもしれない。言葉の撞着が戦慄を呼び起こし、ひとつひとつの語義内容が、互いの語に深く干渉しつつ衝突しあうこのセリは、全体としてある種不可解で不気味な、あるいは謎に満ちた印象を読者に与えるにちがいない。しかし奇妙なことだが、その不気味さには、どこかわれわれに親しいユモリスティクな躍動が横たわり、われわれの心を不思議と弾ませることに読者は気付かれるにちがいない…

DEMO

千慶烏子の作品を読んでみましょう。書籍にはすべて詳細な解説と試読用のデモが用意されています。デモや解説を読むには各ストアの商品ページ、またはこのページのメニューから。作品の解説を読むには「NOTE」を、デモを読むには「DEMO」を押します。下のカラムの画像を押すと作品の続きを読むことができます。

千慶烏子『TADAÇA』

TADAÇA

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-18-3, 978-4-908810-32-9

するだろう。あなたはするだろう。その女(ひと)のそこにあなたはそのようにしてあなたの息をそうするだろう。みずみずしさをまし、ゆたかになみうつその女の肌がうるおいをまし、口づけのたびにしずかにゆれるその女の果実のはつ夏のそれを、あなたはそのようにしてそうするだろう。その女のうすいドレスがひもとかれてゆくその女のそこに、そのかくれもなき肌の愛しいそこに、指という指の、肌という肌の、そのふれあうところからしずかなしずくをしたたらせてゆくその女のそれをあなたはそのようにしてそうするだろう。そうという。そう。そうというその女の息がしだいにあらわに急いてゆくにつれ、その女のそれがしだいにゆたかにうるおうにつれて、野の草のたけるがごときあおあおしさをますあなたのそれを、その女はそのようにして愛するだろう。ふかいみどりをこめてたけだけしくおごるあなたのそれを、ややもすればせいて、その女はそのように愛するだろう。そのおごるというおごりのあなたのそれを、そのたけるというたけりのあなたのそれを、さなきだにあおあおしい夏草の、あわあわしい蕊を愛するがごとき愛しかたで、その女はそのようにするのだろう。指をからませるその女。髪に手をやるその女。そうしてはつ夏の果実のまどかなそれがあなたの肌にふれてかたくなる。…

千慶烏子『VERNISSAGE』

VERNISSAGE

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-00-8, 978-4-908810-23-7

あなたは妹の黒い靴下をはき、わたしはお兄さまの革のベルトをしめて、おたがいの胸乳をおのおのの口に吸い合うのです。あなたは妹の黒いリボンをつけ、わたしはお兄さまの黒い靴紐をしめて、おのおのの口に青い鱒をつりあげるのです。水しぶきをあげて勃起している青い魚をおたがいの口にさがしあてては、それをおのおのの口に吸い合うのです。そうしてあなたはわたしの野良猫のようにまるいおなかに、そうしてわたしはお兄さまの牝猫のようにきれいなおしりに、杜撰な虚言を突き立てあってはおたがいの青い鱒をおのおのの口に吸い合うのです。

わたしたちの吐息はおおむねわたしたちの手によって黒くされているのですから、わたしはお兄さまの書き物机の鍵を井戸にしずめて、あなたはわたしの衣裳箪笥の鍵をポケットにひそめて、ときどき子供みたいにくすくすわらっておたがいの孤独の不意を襲っては、わたしたちの凄惨な美貌をおたがいの胸乳に、ときどき子供みたいにくすくすわらっておたがいの孤独の不意をついては、わたしたちの凄惨な無気力(アパテイア)をおたがいの苦悩(アゴーニア)に、まるで交尾して果てることのない恋人みたいに、まるで交尾していつ果てるともしれない恋人みたいによりそわせ合うのです…

千慶烏子『デルタ』

デルタ

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-26-8, 978-4-908810-04-6

死んだ季節。ヘスペリアの夏。わたしたちのヘスペリアに四季の営みはない。空々しくどこまでも空疎な写しでできたヘスペリアには、よくできた季節の写ししかない。あるいはすでに廃墟と化した季節の表徴しかない。自然の廃墟。わたしたちの夏。ヘスペリアの死んだ季節。朝を迎える前には必ず立ち込め、かすかに雨となって降る霧。ようやく明け染めたばかりの夏のおもかげ。遠くから聞こえる潮騒。鳴き交わす鳥たち。夏なのに誤って降る雪。ヘスペリアの夏。死んだ季節。この死んだ季節のなかで、わたしはすでに死んでいる。あるいはわたしはあらかじめ存在しない。または廃墟の生とでも呼ぶべきものをわたしは営んでいる。あるいはあらかじめ死者としてこの世に生を享けた。廃墟の生。死者の生。喩えるならば、わずかばかりの愛のために彫像に変えられた可愛そうな娘のように、あるいはあまり確かでない罪のために僻遠の地に流された哀れな流刑者のように、ながながしく、永遠とも思われる時間を、よるべのない孤独と内省と理由のない嗟嘆にゆだねる生活がわたしの生のありようだ。まるで、と鏡を見つめてわたしは思うだろう。埋葬の地を忘れてさまよう亡霊ね、と。生きているのに死んでいる人みたいと。そして、幾許かの軽蔑をこめて続ける。でも、死者よりも魅惑的だわと…

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