ADVENTURERS

冒険者たち

千慶烏子癌闘病記 その二「未熟な兵隊」 ISBN: 978-4-908810-23-7, 978-4-908810-17-6

東経百三十五度五十二分。朝八時の電車が遅延したり、運休になったり、吊革を片手に電車に揺られている乗客たちがいつもと変わらない窓の景色にうんざりしているなか、君のところだけグロテスクに死が露出している。あるいは君のところだけ死というものの非合理な現実が剥き出しになっている。僕たちの日々の暮らしというものは、いわば死という時限爆弾を身体に巻いて何食わぬ顔をして生活しているようなものだ。ある種の否認の上に僕たちの日常は成立しているのだと言ってもいい。僕たちはこの時限爆弾の装置が作動してはじめて死というものの破壊的で非合理な相貌に気づかされるのだ。それは僕たちから自由を奪い、拘束し、屈服させてしまう。僕たちに慈悲を乞わせ、尊厳を奪い、人間であることを諦めさせてしまう。そして、とても残念なことを君に告げなければならないのだが、君の時限爆弾の装置がどうやら作動を始めたらしいのだ。死を予告するタイマーがあわただしく点滅して、君の残り時間がもうあまりないことを告げている。週末に髪を切りに行く予定だとか、新しいシューズを買う予定だとか、恋人の誕生日にシルバーのリングを贈る予定だとか、日々の暮らしのよしなしごとははるか遠くに消し飛んでしまって、いま君の目の前にあるのは診断書と癌病棟の入院申込書だ。そこには確かに君の名前と癌という病名と明日の日付が記されている。やがて明日という日が来たならば、君は、銃の配給もないまま、銃弾二つだけを手渡されて戦場に送り込まれる新米兵士のように、いたるところに死が剥き出しになっている無慈悲な現実に放逐されるだろう。すでに未熟な兵士たちを戦場に送り届ける巨大な輸送機は東経百三十五度五十二分のはるか上空を旋回飛行している。明日の朝の手続きが完了したならば、轟音を立てて飛ぶ輸送機の片隅で、あわただしく点滅する時限装置を解除しようと躍起になっている君の耳に、大きな声でグッドラックと叫ぶ怒声が響き渡り、まさしく君は臆病な兵隊のように、はるか上空から十分な装備もないまま蹴落とされるにちがいない。そして突風に翻弄され、たかだかと吹き上げられ、確かにパラシュートは開いたはずなのに、吹きつける風は強く、激しく、君は、足をばたばたさせながら前のめりにつんのめって、死というものが残酷に露出している現実に放り出されるのだ。いまや君の手に残されているのは闘う勇気と想像力の二つだけだ。君はこの二つで何とかしなければならない。死というものがグロテスクに露出している現実を何とかして君は生き延びてゆかねばならない。かくして、風に煽られるパラシュートをかろうじて切り外しながら、あたふたとけつまろびつしている君の前にひとつの物語の幕が切って落とされるのだ。それは死で終わる物語ではなく、いくばくかの犠牲を払い、またいくばくかの困難な道のりを経て、生還で終わる物語だ。僕たちはこれを冒険と呼ぶのだ。(続きを読む)


*死を見つめ、病を見つめ、これに打ち勝とうとする力――。読む人を圧倒する力強い筆致で癌という病と闘う日々を綴る千慶烏子の闘病記『冒険者たち』。闘うこと、負けないこと、生き延びることに向けての明確で頑強な意志の表明。絶賛発売中!(P.P.Content Corp.編集部)


*収録作品より
冒険者たち その一「事の起こり」
冒険者たち その四「困り顔のマデリン」
冒険者たち その六「光の痕跡」
冒険者たち その十八「イスキアの修道女たち」
冒険者たち その二一「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」

BOOKS

千慶烏子『冒険者たち』

冒険者たち

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-23-7, 978-4-908810-17-6

僕たちはさよならを言わない。僕たちは涙を見せない。再び会う日までさよならはお預けにするのだ。それが冒険者というものなのだ…(本文より)

――詩人が詩を書く意味とは何か。しばしば問われるこの抽象的な問いかけに対するきわめて具体的で明瞭な回答を読者の皆さんは本書に見いだすことができるだろう。本書にあるものをずばり一言で言い表すならば、それは「詩の力(poiesis)」である。それは、その詩的創造の過程において、詩人がみずからをその力によって目覚めさせ、奮い立たせ、立ち上がらせるような力であり、困難な状況を生きられるものにする力である。

闘うこと、負けないこと、生き延びることに向けての明確で頑強な意志の表明。全盛期千慶烏子を代表する傑作『冒険者たち』。

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千慶烏子『TADAÇA』

TADAÇA

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-18-3, 978-4-908810-32-9

人類の歴史にはじめてインターネットが登場したときに、人はどのような未来をそこに見いだし、詩人はどのような書物をそこに創造したのか──。

二十一世紀初頭、インターネット草創期に先駆的なデジタル出版で海外から高い賞賛が寄せられた千慶烏子の『TADACA』。傑作と名高い第三章「La Chambre Numerique」を含む全四章を完全収録。この不可能な挑戦、この孤立無援の行程のもとで行われたデジタルの内面化の過程を通して、デジタルははじめて人間的なものになる。──ここにあるのはデータにすぎない。しかしそれは何よりも貴重な歴史の証言であり、また書物という人類の英知の賜物なのだ。

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千慶烏子『ポエデコ』

ポエデコ

千慶烏子著

ISBN: 978-4-908810-05-3, 978-4-908810-27-5

自転車を押しながら坂道を登ってゆく彼女を見つけてマリと叫んだ。僕たちの夏の始まりだった。僕たちはその夏一緒に過ごそうと約束していた。誰にも内緒で、自転車を走らせ、一晩でいいから湖のほとりのコテージで一緒に過ごそうと二人だけの約束をしていたのだった。僕は彼女を見つけて名前を叫んだ。半袖のブラウスからのぞく肌という肌のすべてが美しく、額に結んだ粒のような汗までが美しかった。僕たちは夏の盛りの泡立つような虫の声に煽られながら…(本文より)

脱現代性の詩的方法論──。デコンタンポランという聞き慣れないフランス語は、現代性の危機に対抗するべくして詩人の作り出した新しい文学上の方法論だ。英語に置き直すならばディコンテンポラリー、脱構築の脱が加えられた現代性、すなわち脱現代性の方法論だ。──対抗的であり、挑戦的であり、攪乱的であるような想像力のかたち。千慶烏子のポエジー・デコンタンポレヌ。珠玉の三十篇を収録。

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