喩えるならば、あたかもそれは西の果ての悪い魔女に魔法をかけられたかのように、僕たちの髪は抜けるのだ。短くしても短いまま抜ける。眉も抜けるし、全身の毛という毛が抜ける。抗癌剤の副作用で、僕たちはまるで毛のない国から来た毛のない部族のようになる。病棟に同じ部族の人がいると、僕たちは親しみを覚えて挨拶を交わすようになる。無造作に帽子をかぶった年配の男性もいるし、ターバンを巻いて綺麗にお化粧をした若い女性もいる。僕たちの病いは年齢や性別を問わないのだ。可愛らしく頭を剃りあげた少女が廊下で慌てて帽子をかぶり直して僕を見て微笑んだのが、彼女を見た最初だった。彼女は血液の癌だと言い、もう学校を休んで長くなるのだと言って笑った。僕も咽喉の癌だと言い、高校の英語ぐらいなら教えてあげられるよと言って応えた。彼女は瞳を輝かせてぜひ自分に英語を教えてほしいと迫り、僕は気分のいい時間を利用して、週に何日か彼女に勉強を教えるようになった。僕にとっては発音を確かめながら英語を教えることが、彼女にとっては学校の授業を思い出しながら勉強することが、生きることの確信につながっていたのではないかと思う。そんなある日、僕は眉のない彼女がきれいな眉をして微笑んでいるのを見て驚いた。彼女は得意げな顔をして化粧品の鉛筆を取り出すと、先生にも描いてあげるわと言って、眉のない僕の顔に眉を描き始めるのだった。眉のない部族である僕たちにはどんな眉でも自由に描けるので、彼女は僕に、太くて分厚い、まるで不当な運命に激怒しているハーキュリーズのような眉を描き、それを見て彼女は、先生怒っちゃいやだわなどと言って笑うのだった。僕は僕で、微妙にバランスの崩れた不揃いな眉を描いてみたり、しかめっ面の眉を描いてみたり、あるいはルーカス・クラナッハの描く肖像のように酷薄な眉を描いてみたりして、おたがい鏡を見せ合って笑うのだった。なかでも彼女にいちばん似合っていたのは、悲しげに眉根を寄せて、いつもどこかに不幸を抱えているような困った顔をした眉だった。僕はその日から密かに彼女を困り顔のマデリンと呼ぶようになった。マデリンはまだ高校生なのに血液の癌を患い、大人の僕でも閉口するような抗癌剤の治療にも耐え、時には元気な風を装ったり、娘らしく笑い転げたりする一方、時には病室から一歩も出てこないで寡黙に打ち沈んでいることもあった。余命を告げられたからといって、抗癌剤の治療が辛いからといって、彼女は弱音を吐くことは一度もなかったけれども、困り顔のマデリンが青ざめた少女の額に眉のない眉根を寄せて、物思いに沈んでいる姿を見ると、僕は、癌という死に至る病の残酷さ、慈悲のなさ、非合理で容赦のないあり方に強い憤りの感情を覚えるのだった。それからマデリンと僕は、病院の空中庭園やコーヒーショップで、勉強熱心な女子高生と教育熱心な高校教師のようにして過ごした。英語の仮定法も難なくこなし、習わなくてもいい仮定法未来完了まで習得し、興味半分で始めたフランス語も十まで数えられるようになったころ、しかしながら、彼女は突然僕たちの前から姿を消した。病院での治療を諦めたのか、異なる治療法を求めて別の病院に転院したのか、それとも残された時間の過ごし方を自分で決めるに至ったのか、誰に訊いても本当のことはわからなかった。僕はマデリンの本当の名前すら知らずにいて、彼女が抱いていた思いについても気づいてやることすらできずにいた。病院から姿を消したマデリンがそれからどうしているのか、今もなお元気にしているのか、その消息については、僕をはじめ、彼女と親しくしていた人たちも、誰ひとり知らないままだ。僕たちはほんの少しのあいだ巡り合い、おたがいの身の上を語り合って、はじめて心を許した友人のように、おたがいの秘密を打ち明け合うようになる。そしてしばらく親密に過ごしたあと、僕たちはエールを交換し、健闘を讃え、生還と再会を誓ってまた自分の冒険の旅へと戻ってゆくのだ。僕たちはさよならを言わない。僕たちは涙を見せない。再び会う日までさよならはお預けにするのだ。それが冒険者というものなのだ。(続きを読む)
*死を見つめ、病を見つめ、これに打ち勝とうとする力――。読む人を圧倒する力強い筆致で癌という病と闘う日々を綴る千慶烏子の闘病記『冒険者たち』。闘うこと、負けないこと、生き延びることに向けての明確で頑強な意志の表明。絶賛発売中!(P.P.Content Corp.編集部)
*収録作品より
冒険者たち その一「事の起こり」
冒険者たち その二「未熟な兵隊」
冒険者たち その六「光の痕跡」
冒険者たち その十八「イスキアの修道女たち」
冒険者たち その二一「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」
僕たちはさよならを言わない。僕たちは涙を見せない。再び会う日までさよならはお預けにするのだ。それが冒険者というものなのだ…(本文より)
――詩人が詩を書く意味とは何か。しばしば問われるこの抽象的な問いかけに対するきわめて具体的で明瞭な回答を読者の皆さんは本書に見いだすことができるだろう。本書にあるものをずばり一言で言い表すならば、それは「詩の力(poiesis)」である。それは、その詩的創造の過程において、詩人がみずからをその力によって目覚めさせ、奮い立たせ、立ち上がらせるような力であり、困難な状況を生きられるものにする力である。
闘うこと、負けないこと、生き延びることに向けての明確で頑強な意志の表明。全盛期千慶烏子を代表する傑作『冒険者たち』。
思えば、あの日はじめてサーカスの馬屋で見た中国男がわたしに微笑みかけることをせず、罌粟の咲き乱れる裏庭の片すみで、弦が一本しかない中国のセロを弾いてわたしたち家族を感嘆させることもなく、柔らかいなめし革のような肌を輝かせてわたしの手にうやうやしく接吻することもなく、そのまま馬に乗ってこの小さな村から出て行ってくれたのなら、どれほどよかったことだろうか──。
Claireとは明晰にして澄明、清澄にして純粋。光輝くような美貌の女クレールが繰り広げる愛の妄執はかくも清冽であり、またかくも甘美である。千慶烏子のプネウマティクとバロッキズモは、われわれの記憶の古層にたたまれた愛の神話を、かくも現代的な表象空間のもとでかくもモダンに上演する。アレゴリーとは他者性(アロス)の言説。千慶烏子が舞台の上に女たちを呼び寄せて語らせる甘美な愛の言説とは、実にこのアロスの言説、他者性の言説に他ならない。神の女性的な部分。狂気のもうひとつの側面。全体的で命令的な連続する快感。実に愛の妄執とは、ジャック・ラカンの言うとおり「女として現われる」のである。──急迫するファントーム。明晰な愛のオブセッション。目眩めくテクストの快楽、千慶烏子の長編詩篇『クレール』。
自転車を押しながら坂道を登ってゆく彼女を見つけてマリと叫んだ。僕たちの夏の始まりだった。僕たちはその夏一緒に過ごそうと約束していた。誰にも内緒で、自転車を走らせ、一晩でいいから湖のほとりのコテージで一緒に過ごそうと二人だけの約束をしていたのだった。僕は彼女を見つけて名前を叫んだ。半袖のブラウスからのぞく肌という肌のすべてが美しく、額に結んだ粒のような汗までが美しかった。僕たちは夏の盛りの泡立つような虫の声に煽られながら…(本文より)
脱現代性の詩的方法論──。デコンタンポランという聞き慣れないフランス語は、現代性の危機に対抗するべくして詩人の作り出した新しい文学上の方法論だ。英語に置き直すならばディコンテンポラリー、脱構築の脱が加えられた現代性、すなわち脱現代性の方法論だ。──対抗的であり、挑戦的であり、攪乱的であるような想像力のかたち。千慶烏子のポエジー・デコンタンポレヌ。珠玉の三十篇を収録。